誰にでも訪れる死を、誰もが不安なく幸せな気持ちで迎えられる社会を目指しています。
住み慣れた我が家で最期を迎えたい。家族や大切な人たちに囲まれて旅立ちたい。そういった想いを受け止め、ご臨終前から、臨終時、納棺まで寄り添うのが「看取り士」の役割です。お看取りに関するすべての相談に対応いたします。
依頼者様の自宅(病院、施設)などに赴き、一緒に家族の死に立ち会い、臨終前後に抱きしめて看取る「看取りの作法」をお伝えすることが私たちの仕事です。
そして誰もが訪れる旅立ちの時を安心して幸せに迎えられるようにサポートいたします。
看取り士とは
住み慣れた我が家で最期を迎えたい。
家族や大切な人たちに囲まれて旅立ちたい。
大切な家族と最期まで一緒に居て見送りたい。
そういった想いを受け止め、ご臨終前から、臨終時、納棺まで寄り添うのが「看取り士」の役割です。お看取りに関するすべての相談に対応いたします。
依頼者様の自宅(病院、施設)などに赴き、ご本人やご家族の死への不安を和らげ、一緒にご家族の死に立ち会い、命のバトンを繋ぐ「幸せな看取りの作法」をお伝えする仕事。
一人暮らしの方へも、人の温もりの中で安心して旅立てるよう家族の一員として支える仕事。
誰にも訪れる旅立ちの時を安心して迎えられるようにサポートいたします。
看取りへの想い
「これで良かった」と感謝があふれる幸せな最期を迎えるために・・・
看取りは“ありがとう”と“命のバトン”を繋ぐ愛の循環の場
理学療法士として医療・福祉現場の中で、沢山の高齢者の方々に関わらせて頂きました。人生の大先輩からの学びは多く、“誰もが必ず老いて逝く”という事実をそれぞれの方が受け止めていかれる姿を、「自分には何も出来ない。」という無力な気持ちで見守る経験をしてきました。当時「死」に対してネガティブなイメージを抱いていた私には、とても辛い時間でした。
そんな中、険悪で疎遠な関係だった義理の母が余命宣告を受けることとなり、勇気を出してお見舞いに行った私は、義理の母と最初で最期の本音の会話を交わす経験をしました。
その後、実家の祖母が亡くなる際には、直前まで病気の事を知らされなかったため気持ちの準備が出来ず、想いを伝えられないまま見送るという経験をしました。「おばあちゃんありがとう。」たったこの一言が届けられなかった事が遺された私にとって辛さや後悔となり、未来へ進めず立ち止まり続けてしまうという体験もしました。
一方で、カウンセリングの仕事の中で強く実感する、私たち現代人の心の中に強く根付いている「自分(命)に対する自己重要感の低さ」。
どうして私たちは、自分(命)という存在をこんなにも低く扱ってしまうのだろう。
この問いと老い逝く方に対して「自分には何も出来ない」と感じていた私を、奇跡的に出会った柴田久美子さんの「看取り学」が、優しい光で導いてくれたのです。
私たちは「死」を身近に感じて向き合うからこそ、「生・命の奇跡」を感じることが出来るんだ。
自宅で看取ることが当たり前だった昔は、今よりもっと自分と周りに優しい生き方が出来ていたのではないでしょうか。
日本看取り士会会長の柴田久美子さんの想い。
「誰もが、最期の時、愛されていると感じて旅立てる社会」を目指すことは、遺される人、未来へ向かい生きる大人や子供たちにとって、「亡くなられた方から受け取る命のバトンを引き継ぎ、自分という存在を尊いものだと安心して生きられる社会」へと繋がると私は考えています。
見送られる方も、見送る方も、感謝の気持ちに包まれる「幸せな看取りの作法」「プラスの死生観」を一人でも多くの方に伝えていきたいと思います。